ひとりでも入れる労働組合

沿革


事柄
1972年 大阪地域合同労働組合結成。南大阪地区評、全金港地協、全港湾などのバックアップがあった。初代委員長竹田保(港相互タクシー労組)
1973年 大正区の保育園で分会結成。この後保育園など福祉関係の分会が多くできる。
1974年 ワールド印刷争議はじまる。偽装倒産に対抗し泊まり込み闘争、法廷闘争の上で自主再建。大阪地域合同として最初の労働者自主管理による再建。以後は倒産に対して組合による再建も何度か成功している。
この年にはMJBコーヒー分会も結成された。アルバイト全員加入するという画期的な組合だった。
1975年から 植田マンガン労災争議はじまる。公害による労災として国の責任を求めて最高裁まで争う。
1976年から 佐野安ドッグ下請争議はじまる。下請労働者の使用者責任を協同組合・元請に求めた。鎌田慧『労働現場』などにも取り上げられて注目を集める。
1978年 フラワー争議では、破産した会社に対する整理屋(暴力団)の乗っとりに対抗して組合が申請者として破産申請をした。
1980年から 個人の労働相談が増えてくる。
1985年 のべ分会数が100を超える。
1993年 連合に加入。
1997年 25年誌『あしたを生みおとすために 中小零細で働く仲間とともに歩んだ4半世紀』発行。
1999年 のべ分会数が200を超える。
2009年 のべ分会数が300を超える。
2012年 40年誌『仲間をつなぎ未来へつなぐ』発行。